歴史と経緯

今上天皇陛下のご即位により、新たに令和の時代を迎えた令和元年十一月、皇居に建てられた大嘗宮において大嘗祭が済行され、

麁服と愛知県豊田市稲武(いなぶ)町から繪服(にぎたえ:絹の織物)が先例により神服(かむみそ)として

悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の神座に祀られた。

阿波忌部の麁服調進は、古くは文応元年十一月(一二六〇年)亀山天皇から

暦応元年十一月(一三三八年)光明天皇まで六代の天皇に奉仕した古文書が三木家に残っている。

 

文応元年十一年(一二六〇年) 

三木 宗時 亀山天皇大嘗祭に奉仕する。

永仁六年十一月(一二九九年)  

三木 安村 後伏見天皇大嘗祭に奉仕する。

延慶二年十一月(一三〇九年) 

三木 長村 花園天皇大嘗祭に奉仕する。

文保二年十一月(一三一八年)  

三木 長村 後醍醐天皇大嘗祭に奉仕する。

正慶元年十一月(一三三二年) 

三木 氏村 光厳天皇大嘗祭に奉仕する。

歴応元年十一月(一三三八年) 

三木 重村 光明天皇大嘗祭に奉仕する。

 

光明天皇を最後に南北朝の戦乱から途絶え、

大嘗祭が再興したのは江戸時代一六八七年、第一一三第東山天皇のときである。

江戸時代の麁服は神紙官の主導で作成されたが、献上物には「阿波忌部代」(阿波忌部の代わり)と記されており、

以後明治まで続けられた。

大正天皇即位の際、当時の三木宗治郎氏がこれらの記述した古文書をもとに活動し、

阿波忌部氏からの調進が五七七年ぶりに復活した。

これにより、大正、昭和、平成、令和の大嘗祭で、木屋平で糸に紡ぎ山川町山崎忌部神社の織殿で織って供納した。

 

大正四年十一月(一九一五年) 

三木宗治郎 大正の大嘗祭に奉仕する。

昭和三年十一月(一九二八年) 

三木宗治郎 昭和の大嘗祭に奉仕する。

平成二年十一月(一九九〇年) 

三木 信夫 平成の大嘗祭に奉仕する。

令和元年十一月(二〇一九年) 

三木 信夫 令和の大嘗祭に奉仕する。

 


三木家

穴吹川の谷から山道を6Kmほど登った山の中腹、三ツ木地区にあります。住宅のところには資料館があり、天皇即位の大嘗祭に献上した麁服作成に使用した一連の資料を展示しています。