麻の豊作と畑の安全を祈願し地鎮祭を行う。
バックホーによる株の掘り起こしやトラクターで耕うんを行い、石の除去などは手作業で根気よく行う。
整備した畑に斎場を設け播種式を執り行う。
役員3人が高さ三mほどに育った麻を一人い三本ずつ丁寧に引き抜き、根本と穂先を切り取り一九〇cmに備え、祭壇にお祀りし抜麻式。
三ツ木八幡神社で執り行われた。
初紡(はつぼう)では麻の繊維を細かく裂いて、縒(よ)り合わせながら長くつないでいく「麻績(あみ)」や糸車にかけて糸をよっていく「よりかけ」の作業が五人の紡女(つむぎめ)たちによって行われた。
麻糸が完成し紡糸(ぼうし)出発式を三ツ木八幡神社で執り行う。
桐箱に納めた紡糸を神前に奉安して祝詞を奏上し、厳かに玉串を捧げて山川町への出発を奉告する。
阿波忌部麁服調進協議会が発足し、美馬市木屋平の特定非営利活動法人あらたえと連携して準備に着手した。
社殿の本格的な修理は、約三十年ぶりということもあり大規模なものとなった。
屋根の破損、それに伴う雨漏り、壁面の塗装の痛みなど、修理箇所は多岐にわたった。
手だけでなく同時に足も動かさなければならない。とまどいや不安を抱えながらも、あとへは引けない練習がスタートした。
木屋平で紡(つむ)がれた麻糸が、山川町に届けられた。麁服織り上げ式作業の開始という大きな節目を迎えた。
紡糸(ぼうし)受取式の八日後の十日、織り初め式が挙行された。徳島県知事をはじめ、県内外の関係者、支援者など多数の来賓を迎え、盛大に開催された。
織り初め式は、神前で多くの来賓や見学者が見守る中、実技を披露した。神事のあとは、報道関係者の取材にも対応した。
大正・昭和の麁服製織の際には、山川町の山崎忌部神社織殿で織り上げ式が計画あるいは実施された。平成の麁服貢進時からは、徳島市の忌部神社で織り上がりを奉告する神事に出席している。
令和元年十月二十七日、午前十時から住民ら約四百人が見守る中、川井グランドに設けた斎場で麁服出発式を行った。桐箱に納められた麁服を神前に奉安して祝詞を奏上し厳かに玉串奉奠を捧げ、山川町山崎忌部神社へ出発した。
令和元年十月二十七日午後、木屋平に引き継ぎ、山崎神社でも麁服出発式が行われた。神事のあと、鴨島鳳翔太鼓の演奏と織女(おりめ)や多くの関係者、来賓、一般参列者の見送りを受け、麁服は皇居に向けて出発した。
桐箱二つに二反づつ納められた麁服は、阿波忌部麁服調進会の代表十人により、皇居に届けられた。これにより、長期にわたった麁服調進事業も無事終了した。
令和二年一月一日、新年を迎えた直後の0時5分から約2分の間、放送された。
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